「せせらぎ公園 第2次 治水事業」日記 最終章
世観 (よみ)カエル!ちゃん
流れの真ん中に、鎮座?
左様(さよう)なら! ♪中の島ブルース
今月(7月)に入り、蓮の華&魚たちが気になって、始めて仕舞った「勝手に!
治水事業」は本日を持って、本当に!『ひと段落』とすることにした
あとは、公園の散歩者(ユーザー)の1人として、気になったことを、ちょっとだけ
遣る!なスタンスに戻ることにした
最初は、蓮が棲んでいる「池」の上流部 (場所は、このページ を参照)の草が
気になっていたので、それの排出 & 以前、手掛けた、その下流の牧草ほかの
軽~い排除を遣るだけなら、三日坊主!? で終わると思って居た
けれど、表面的には、大したことは無いと思った、トコロが!その下には、この
十数年以上の間に溜まってしまった、名無しのゲロ にも似た、黒い堆積物が
沢~山!有った (それに似た風情: 神の子池 )
それは、今のニッポンの抱える問題点を、具現化したモノの様に思えて、結局、
目に見えて、違いが判るYoh!にしなければ、遺憾&如何!と考えて、流れの
中から、その問題点を取り出し、陽の下に出さないと、始まらない!! と思えていた
差し当たり?見栄え!? な (それなりに、緑の草の)部分も考えて、完全に排除!
はしなかったが、今までそれらの堆積物の為に「中の島」化していた、土の山?
を崩して、世観カエル君を鎮座させて、ほぼ8割方は、排せつ出来た蓮!なので、
ピリオドを打った
それこそ、この公園の歴史を含めて、遡ると...
昭和60年3月の、北見相生線 の廃止
そのアト、まだバブルの崩壊の前夜!? だったから、使えるおカネがジャブ
ジャブあったので、公共事業が花盛り!であり、その一環として、色んな
「公共施設や公園の整備」が行なわれた中の、一つであった
この「 せせらぎ公園 」の全体像は、一周徒歩1時間(約4km)に亙る遊歩
道の中に、色んな施設が併設されていて、多くの散歩者の憩いの場所に
なっているし、また、美幌博物館で、企画展「せせらぎ公園の野鳥たち」と
銘打った企画が打てるほど、鳥の囀(さえず)りも聴こえる場所である
チャンと利用出来れば、こんな大きな公園が街の真ん中にあるのは、ホカ
の街には無い、誇れる「お宝」である!と思っている
然し、如何せん?「カネに糸目を付けず」な時代に造られたモノだから、世
話をするのに「手間&カネ」が掛るモノなのが、玉に瑕(キズ)なのは、確
か!ではある
然も、微妙なバランス(自然界)の中にある為に、ちょっとした不具合が起
こっただけで、様相を変えてしまう存在でもある
それは、当に「温室の中(&机の上)」では無いから、日頃の手入れを求め
てくる構造物(システム)であるということで、ちょっとでも手を抜く!と、当所
の「流れ」が阻害されてしまうモノでもある
それは、大は小を兼ねる!? 馬ッ鹿りが正しい!と思って、何でも「数字の大
きい」事ばかりを追い駆けて来た~ッ!! そんなモノゴトの考え方の時代の、
シワ寄せが、目に見えて現れた「事例」にホカならない
それこそ、1本の小枝が流れを遮(さえぎ)っただけで、その流れが変わる!
的な、繊細なツクリになっているから、机上の「予定」などを待ってはクレナ
イ存在であり、日々の目配りが必要なのは、子育てと同じ「考え方」が必要
なのが、この公園の特徴であり、それは多くの「いま!のニッポン」の各所
に存在する、課題も同じで、その縮図!が、当にココに観得る也
話しを「振り出し」に戻して、造らなければ良かったなどという心算は無い!
し、そのまま朽ち果てるのを、ただジッとして待つなら、自分たちの「手」で
何が出来るの化?を考えるのが、正解!! と考えるから、今回の治水事業を
遣っていたのが、現場の状況である
言葉(決まり事、言うなれば「法」)は、ヒトを動かす為には、必要不可欠で
はあるが、ただ単に、それを捏ね繰り回していても、何も変わることは無い
背中で語らなければ、誰も追いては来ない!と考えている
それは、扨て置き!
そろそろ?ココの処、サボっていた「ネット上の、曼荼羅創り」を再開しYoh!
既に、この世は、インターネット上に、チャンとした「現実世界の縮図」を創ら
なければ、廻らない&繋がらない様になっている!是世
それを「自分たちだけで牛耳ろうとしているモノ」たちの勝手にさせていては
何も変わらない!し、いまの息苦しさから、開放はされ無い!也
既に「諸刃の剣」は、みんなが持っている それを如何に!使うか?である
♫(^o^)♪ ツ(^o^)シ §(^o^)β