hot_eyes 雑記帳

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偉い


偉人(いじん)と言うと、誰を思い浮かべますか!?

私なんかは子供の頃、伝記シリーズで読んだりした「野口英世」なんかをイメージします


小さい頃、囲炉裏に手を突っ込んでしまい手がボッコになって、それを直してくれた医療にイタく感動して、医者の道を目指し、最後は「黄熱病」の治療などでアフリカの人々にイタく感謝されている...

ワクチンの世界ではコッホパスツールが有名だけど、野口英世なんかは彼らの遺志を継ぎ、その後、その道を進化&深化させていった一人でもある

その後、インフルエンザ・ワクチンなんかも年々、色んな意味で精度が上がって、「今までなら死んじゃっている」ヒトが生き残っていたりする

だから、人類はいま爆発的に増えているとも言える

だからと言って「ワクチンは誰が作ったんだ!」と誰も文句は言わない
たぶん、医療の世界の進歩がなければ、現在の「世界の状況」は変わっている
もっと自然淘汰の法則が働き「人間の人数がもっと少なくて」ある面、いまより生きやすい世界だったかも知れない

一つの分岐点で、人間の社会は一つの選択を行った...

ある面、今のお医者は、コッホやパスツール、野口英世よりも「医療の分野」ではより多くの知識を持っている
だけど誰も「偉人」という認識はされていない
逆に、単純に「同じ尺度」で測ったら、この世は偉人だらけになってしまう!?しね

医療の世界でも「世界新記録」は毎年更新されており、最初にその記録を作ったヒトがみんなの記憶に残り、過去の新記録のテープはすぐに古くなる
昨日の新記録は平凡な記録になり、誰も称賛を与えないものになる...

だから「尺度」というものも、時代によって移り変わっていくものである
固定化された「絶対的なもの」はない
ゆえに!? 「感謝する」気持の対象も、要求されるレベルも上がってしまう

そして、あちこちにモンスターたちが現れている!?

また一方では聞くところによると、野口英世は学生時代、けっこう遊郭がよいをしたり、今でいうところの「ナンパ師」みたいなことをして遊んでいたらしい
一説には、自分が梅毒になったから、それを直したいがために細菌の研究をしたと言われている
その延長線上に「黄熱病」がたまたまあったんで、ツイデに研究をしていた

だから、ヒョウタンから駒の世界だった...おしまい
※以上、ゴシップ(曖昧な)情報、聞いた話し

このことが事実であれば「社会の倫理」という尺度でいえば、失格者である
「何が、日本医学の父だよ」である
結局、自分のためかよ、と

だからと言って「野口英世はダメじゃん」とは、誰も言わない

彼の残した業績は、日本あるいはアフリカやアメリカの地で、語り継がれていく
また、子供の「偉人の伝記シリーズ」から、彼の名前は消えはしない
それこと「そんなの関係ない!!」である

それは「普遍的な歴史」がそこに出来たということ
今さら、そんな過去のことを蒸し返しても...ということかな?


話し変わって、何だかんだと言って「誰もが自分がエライ」になりたいのが、人の世
誰もが意外と「自分が優先順位1番」になりたいのが、人間の欲望
ある面みんな「俺の言うことを聞け!」と言いたいのである

しかも、それが「せめて自分が生きている間は、そのままであって欲しい」あるいは「出来れば偉人として未来永劫、語り継がれて欲しい」と思って、自叙伝を書くのが密かに流行っていたりする...


「出世街道まっしぐら」あるいは「東大一直線」もある面、それの現れ
その尺度で一番になれば、エラクなれる
それが「肩書き世界」の現代では、
イチバン解り易いし、現在「チョー学歴社会」の韓国では、飛行機まで気を使って飛んでいたり、公共機関のパトカーまでタクシー替わりに、受験生を運んでいたりする...

何か変だよね!?

だけど単純に言って、テストで良い点数を取ればエリートになった俺の未来の「肩書」は安泰で、これからはオレの天下さ、ガハハハハッの世界の究極を追及すれば、そうなってしまう
それをみんなで共有している世界は、それが「当たり前」
「みんながオレに気を使うのも当然でしょ?」になる

けれど、この世はもっと複雑な世界になっている

ちょっとだけ韓国より複雑な世界の日本では...
「釣りの世界」では社チョーさん達の師匠でも、出世街道から外れたバカな「浜ちゃん」もいたりする
日本の世界は、もっと違った「尺度」を持っている

だから、ある面「日本は幸せだ」と思もう

色んな尺度、選択肢を持つ方が、楽しいに決まっている
そのためには、色んな尺度を認めて、尊重しなければならない
だけど時たま「それはちょっと変でしょ!?」な尺度を持ち込むヒトもいるし、一人よがりな「物差し」を振りかざすヒトもいるから、お互い相手の話しをちゃんと聞いて「話し合い」をしながら、お互いを理解していかなくちゃね

その姿勢を「常にみんなが」持っていれば、誰もが間違いをしでかすのが「当たり前」のヒトの世でも、トンデモナイ間違いを起こさないで済むんだよね
そんな姿勢を持っているヒトが『一番エライ』と、私は思っているし、誰にでも出来ることだとも思っている
それって、すでに「比較するものではなくなっていること」だしね

それが『悟り』の世界でもある