hot_eyes 雑記帳

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文句さん


昔むかし、日本福祉大学のⅡ部に1年間行っていたとき、そこで付けられた
私の渾名 or 仇名(どっちかな?)
たぶん、ちょっと「カタキ」が入っていた模様...

現在校舎は愛知県知多半島にあるけど、その頃は確か、名古屋市昭和区の「八事(やごと)」って駅にあって、「入中(いりなか)」って駅の近くに住んでいた
キャンパスも狭く、体育の授業なんかは「庭」でやっていた
学内の「端から端」まで、歩いて約1分ぐらいのサイズの大学だった

私の人生の「第1次/旅の途中」の頃...

「高校生の私」の漠然とした未来予想図としては、私の目指す方向性を断念した時に、知識として大学で学ぶなら、取り合えずつぶしの聞く!?「福祉の分野の大学」かなとか思っていた
また、高校生時代には曲がりなりにも、マルクスの「経済学批判(和訳)」とかを読んだりして、『学校の授業は、そんなものクソの役にも立たん!!』とか思ってゼンゼン聞いていなかったから、学年で270名中263番!?くらいだったしね
「詰め込み教育は良くない」とか思いっていたし...

だけど、それなりの「自分の蓄積」が頭の中になければ、論理の展開や判断をするときに、タイムラグが派生してしまう
「えーと辞書はどこ?」とか「パソコンで検索」とかするよりも「人間の脳内の検索」の方が、絶対的に「早い」
また「総括的に物事を判断するため」には、情報は1つにかたまっていた方が、最後には間違いが少ない...

案外「最初のヒラメキ」が重要で、結局あとは、それへの裏付け作業だったりするから

だから「詰め込めるなら詰め込んだ方が良い」と思えるようになったのは、最近の話し
ちょっとだけ、高校時代は時間を無駄にしてしまったと、ちょっとだけ後悔している

だから、生徒の皆さんへ

「知識として、無駄なものはない」
のだから、詰め込めるだけ自分に詰め込んで下さい
それは何時か、必ずあなたを助けます!!
ただし、ちゃんと自分で「整理」することは、お忘れなく!?


話し戻って、高校時代から...

当時は「資本論」も買ってみたけど、訳が解らなかった...ね

だけど今なら、内容を読まなくても「彼(マルクス)」の思い、あるいは究極的に彼が言いたかったことは分かる
それは、その当時のヨーロッパの世界を席巻していた「権威主義!?的なキリスト教の世界(それはキリストの目指した世界とは明らかに違う!)の打破」のための学問あるいは理論武装
「実践主義」という科学的!?な理論あるいはシステムとしての「彼なりのニューワールド」の創造
ようするに、当時のキリスト教世界へのアンチテーゼだった
しかし、問題は「物理的」「システムだけ」にあったのではない...
ってまた、脱線...基い!

大学の話しから、やり直し

第1次の学生時代はそこから始まった...

この日本福祉大学って、学生同士「あだ名で呼び合う」というのが慣例になっていた
今から思えば「学生運動」が風前の灯火(ともしび)になっていた頃で、それでも「全学連(知っているヒトは知っている)」の組織が残っていたF大では、その影響で「本名は使わない」ということが残っていたようだ
共産主義者の拠点だったしね(今はどうなんだろう?)

だけど、北海道はオホーツクの片田舎の生徒はそんなことは知らないで、自分の「進路」を考えて名古屋に旅立った

そんな中!?確か最初の「学生生活」の説明のとき、学生自治会の説明があり、何かについて私が質問したときに、それがどうも「上層部のヒトたち」には文句を言ったと取られたようで「1年からクラス(ゼミではない)がある」この大学のクラスでの「仇名」が、これになっていた
すでに、この頃から「噛みツキ野郎」だったんです!?

...で、同じクラスの友だちに「杢(もく)さん」というヒトもいて、結構ネームの真ん中に「ん」があるかないかの違いで、話しが通じないことがあったりしていた...こともあり

って「前振り」が長すぎました??


で、最後に「文句さん」の話し

あだ名はそうだったけど、結局、嫌われてはいなかった模様
意外と、その後はクラスの中心人物の1名だった
1年後、東京の大学に入り直したけど、そのとき送別会もやってもらえた

たぶん最初、彼らにとっては、私は異質な存在だった
私が発する言葉が、彼らの考え方、理解していたことと違っていた
だから、みんなにとって、私は文句を言うヤツ

ゆえに「文句さん」

だけど、最後は解り合えたと思っている
そして、その「色」には染まらずに、私は「私の道」を歩き続けているけれど
その頃の仲間は元気にしているだろうか?

約25年ほど前の話し...