小学校の頃の「学科」の、大分類
それに「体育」とか「道徳」「生活」とかが、プラスされる
あるいはミッション系や仏教系の学校なんかでは、その宗教の「お祈りの時間」とか「歴史の時間」なんかもあったりする?
その後、中学校に行って、
「社会」なんかは「地理&歴史」になったり、あるいは「理科」なんかも「科学&化学」の違いを教えてもらう様になる
そうやって、色んなモノが細分化されて行く
だけど、高校なんかに行けば「選択科目」なんかも登場!して、
「地理」と「政経」のどっちを選ぶ?になり、
『限られた時間』の中で、自分の判断により「情報の収拾の選択」を行い、
それ以外の科目については「知らないこと」が増えて行く...
「学校」で、何を教えるべきか?
それは「学ぶことが、樹の下で交わった!?」がときからの、永遠の課題なのかも知れない
それは「生きる」ということと、イコール(ときに「≒」)な関係
「すべて」について、知ることは出来ない!
「すべて」について、知っている人間はいない!
その!「限定された時間と空間」の中で、
如何にして、それぞれが「想像力&創造力」を働かせて、色んなモノゴトを感じることが出来るか?
それが、問題 !? である
「次の時代」に、何を何をバトンタッチしていくのか?
それは、何を伝えるか?という課題と共に、
それを、どのような「科目割り」にする化?も、大きな問題である
すべては「伝える」に通じるモノゴト(≒物&者+言&事&毎)