北海道の食べ物は、美味しい
これは、10人中8.9人、へそ曲がりなヒト以外は、頭をタテに振る(首は曲がるところ!?)
「だけど」と、注意書きが付く
「サービスがね」と
北海道には「多くの原石」がある
けれど、磨いていなかったり、本当の「良さ」に気付かないまま、お皿に載せられていることが多い
だから、諸手を挙げて「賛成!!」にはならない
「また来るね」と、満足を持って帰ってもらえていない
「不満があるから、もう一度」を狙うのは、もっとテクニックがいるから目指す方向ではない
「自然のまま」は、一つの価値観ではあるが、何にしても「色んな意味での加工」がされていなければ、本当の良さを解ってもらえない
いま「北海道の米」が注目されているし、食べられている
そこには「試験場」での弛まぬ努力と失敗の繰り返しがあった
「きらら397」という米は、396回の失敗があった
「ななつぼし」にも、最低6回の失敗があったはず
そこには「失敗を恐れない勇気」と「それを見守る目」と、それを支える「チャレンジ・スピリット」があった
だから、今がある
すぐに「白黒」を付けるのは、ある面「ラク」
待つ身の辛さは「待ち合わせのときの1分の長さ」で、みんなが経験済み
だけど、楽な方ラクな方に行ってばかりでは、
「素材」に失礼である
食べ物は「より美味しく食べてもらいたい」と思っているはず
そして、その先があった「命(いのち)を分けて」もらっているのだから...